人気プロデューサー おちまさと氏。21歳でテレビ業界に入ると、次々に斬新なテレビ番組を企画し、一躍ヒットメーカーに。
しかし、一夜にしてヒットメーカーは生まれない。
夢を叶えるために彼が歩んできた道とは何か。本音で語ってもらった。
スクリーンの向こう側に行こうと決めた日
小学生の時、映画館で観たスティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジョーズ』に衝撃を受け、その日、おち少年は「将来はスクリーンの向こう側に行く!」と決めた。一日も早く“好き”なことを実現するために、おち氏は自主トレを開始した。
「映画を観終わってパンフレットを開いたら、スピルバーグは26歳でこの映画を撮っていることがわかりました。その時、僕は10歳。遅くても自分が同じ年齢になる16年後には、つくる側の立場になれるんだろうと、子供なので思ったのです。その日から、何を見るにも考えるにも、常に作り手側の視点を意識するようになりました。中学に入った時に、1年間に100本の映画を観ようと決めて、自主トレを開始しました。映画を観終わると学生手帳に映画の評論を書き、読書をすれば本の終わりの空白に書評を書く。とにかく、早く映画を撮りたいと思っていました」
1枚のハガキからプロデューサーの道へ
周りと一緒はすごくイヤ。大学へ行く意味も見いだせない。やりたいことが決まっているのに、どうすればそれを実現できるかわからない。そんな想いを持っていた20歳の時、ハガキで応募した、テレビ番組『たけしの元気が出るテレビ』の企画オーディションで、総合プロデューサーをしていたテリー伊藤氏に認められ、その日から放送作家としての道を歩み出した。
「働き始めて1年目、実はこの仕事を辞めようと思ったんですね。仕事の大半はコピー取りや荷物運びの雑用ばかり。企画の仕事をするために入ったのに、『どうしてこんなことをしなきゃいけないんだ』と思って。そんな時、何気なく足元を見たら、ゴミ箱の中までも自分の大好きなテレビのものばかりだったんです。これ以上の環境はないと気がつきました。そこで踏み止まれたのは、やっぱり“好き”な仕事だったから。
だから学生には、自分は何が好きなのかをとことん考えてほしい。“働く”って、社会に自分を組み込んだ時、どこに組み込めば、自分も社会も広がるか、つまり社会と自分のコラボなんです。お互いにwin-winになれる関係がベスト。好きでもない仕事につくほど悲劇はないですから」
余計なプライドは捨て、耳を傾け行動せよ
バラエティ番組で結果を出すと、噂はすぐに広まり、おち氏は一躍、ヒットメーカーに。最も忙しい時は23本のレギュラー番組を抱え、忙しすぎて、寝る暇も食べる暇もなく、1年で8キロも痩せてしまったこともあった。
「企画、演出、プロデュースと仕事の幅を広げてきましたが、テリーさんの弟子の中でも僕が一番仕事を盗んできたと思いますね。企画は記憶の複合体に過ぎないけれど、大切なのはその記憶の視点。物事を俯瞰して見た時、アイデアがいっぱい落ちているんです。そして、仕事でいつも意識しているのは、背骨がちゃんとつながっているかということ。そこを確認しないと、クリエイティブな仕事は出来なくなってしまいますから」
近著『鉄板病』で、おち氏は「多数派を疑え」と説いている。
「誰もが道をはずしたくない。だから自分の意見は過半数の意見と思い込みたい。でも、そういった一つ一つの選択の結果は全て自己責任だし、本気で自分の道を切り拓きたかったら、余計なプライドは捨てて、人の話に耳を傾け、行動すること。そうすれば1年後、見ている景色はガラリと変わり、携帯のメモリーも変わっているはずです」
プロデューサー
おちまさと氏
『学校へ行こう!』『空飛ぶグータン』など数多くのテレビ番組の企画・構成・演出・プロデュースを手掛ける。 さらに様々な分野でのデザイン、音楽プロデュース、作詞、ラジオパーソナリティー、CM監督、企業プロデュース、本の執筆、講演などで活躍する。『企画の教科書』『鉄板病』(NHK出版)『会議質』(ダイヤモンド出版)など著書も多数。
鉄板病 (NHK出版)
「鉄板」とは、“手堅くハズレがない”を意味するギャンブル用語。最近、この「鉄板」志向がやけに目につく。「ハズしたくない」「間違いたくない」「損をしたくない」人たちが急増している。いつから日本は鉄板病大国になってしまったのか。どうすれば、「脱・鉄板病」できるのか。人気プロデューサーが放つ日本憂国論。





