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佐藤 ゆかり 自己実現を通じた社会貢献こそ社会人に求められる役割

大学時代に渡米、スイス、フランス留学も含め、16年間におよぶ海外生活で、つねにグローバルスタンダードを意識し、エコノミストとして活躍してきた佐藤ゆかり氏。
2005年に岐阜1区から立候補、活動の場を国会へと移した今、「日本が繁栄していくために、大学生に期待することは多い」とエールを送ってくれた。

 

情報を集め、行動し、自分を磨いてきた学生時代

上智大学の学生だった佐藤ゆかり氏が、渡米したのは1982年。まだ人種差別が残るアメリカで、社会の表と裏を直視しながら国際政治を学びたいという思いからだった。
 「交換留学生なので1年で帰国する予定でしたが、もっと勉強を続けたいという思いが強く、転入試験を受けて、コロンビア大学の学生としてアメリカに残る決断をしました」
 以後、大学時代にはパリ大学へ、大学院時代にはジュネーブ大学院へそれぞれコロンビア大学から留学。欧米文化に触れながら、世界の中の日本を意識してきた。
 「グローバルスタンダードで物事を判断し、行動する力は留学時代に培われたもの。大学院の修士課程修了後は、テレビ朝日のニューヨーク支局に現地採用され、全米中を駆け回って米大統領選を取材し、それを日本に中継するという多忙な日々でした」
 その後、ニューヨーク大学院で博士課程に進み、 同時にニューヨーク大学の学生に経済学を教え、教職としてのキャリアも積んできた。
 「もちろん何事もスムーズに運んできたわけではありませんが、たとえ困難に陥ってもそれを乗り越えれば他人の悩みもわかり強くなれる、そう信じて突き進んできました。たぶん、根っから明るい性格なんでしょうね」

 

理論を実践の場に生かすため選んだエコノミストの職

博士号を取得したのは1998年。教職に就くのが一般的だが、佐藤氏は、自らエコノミストとして歩んでいくことを決断した。
 「経済は生きたもの。どれほど理論がわかっていても、“象牙の塔”になってしまってはいけないと思いました。市場の実際のしくみを目で見て、理論に基づきながら仕事をしていく道を選択しました」
 金融危機で業界全体が縮小傾向にあった冬の時代、佐藤氏は男女差なし、能力給が当たり前という外資系投資銀行に入り、持ち前の明るさと行動力でキャリアに磨きをかけた。
 「エコノミストの醍醐味は、市場のコンセンサスが形成される、まさにその当事者として現場にいること。プレーヤーの一人として、プレゼンテーションを行い、その結果が市場全体のマクロの動きとして反映される。分刻みでスケジュールに追われる毎日でした」
 エコノミスト時代に財務省や経済産業省の審議会委員として活躍し、政治家との接点も持ったことが、新天地をめざすきっかけともなった。

 

社会の一員であるという自覚をもって

2005年の総選挙で初当選を果たし、政治家として新たなキャリアを歩み出した佐藤氏は、これまで以上に多忙な日々を送る。
 「まずは議員として政策立案現場で働きながら国会議員という立法の職業を極める、それが目標です。そして政治を我ら国民のための目線に戻していくことが、民間出身・納税者の一人として議員になった私の役割だと思っています」
 佐藤氏の事務所では、大学生のインターンを受け入れている。
 「今の学生さんは、私の時代に比べ選択肢が多く、それだけ自由度も広い。仕事を自己実現の場として捉える人が多いですが、それだけではなく、最終的には自己実現を通じて社会に貢献できる人になってほしい」と話す。そのためにも学生時代にやるべきことはたくさんある。
 「大学生の段階で職業的なスキルはなくても、信頼される人間になることを心がけて、自分を磨いていってください。もう一つはコミュニケーション能力。話をする時には頭の中で内容を取捨選択して、説得力のある話し方を心掛けて。グローバルな時代、日本が繁栄していくためには、たえず目標はグローバルに、高くもってほしいですね」

 

プロフィール

佐藤 ゆかり氏衆議院議員
佐藤 ゆかり

1961年生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科入学後、20歳で渡米。コロンビア大学政治学部卒、同大学院国際関係修士課程終了。1998年ニューヨーク大学大学院経済学博士号取得。帰国後は、外資系証券会社のエコノミストとして活躍。2005年の総選挙で、自民党公認で初当選。2006〜2007年自民党副幹事長。

 

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