日本アイ・ビー・エムの社長や会長をはじめ、日本人として初めてアイ・ビー・エムアジア・パシフィックの社長に就いた、北城恪太郎氏。経済同友会の代表幹事も務め、ビジネス会のリーダーとして活躍された北城氏に、仕事・人生について、幅広く語っていただいた。
出世が遅かった
コンピューターを勉強しようと工学部に進学した北城氏。当時の夢は、エンジニアとしてソフトを開発することだった。
「卒業論文でソフトウェアを作成しました。教授に報告をすると、思いがけず研究を継続してみたらどうかとアドバイスをもらい、コンピューター室にこもって作業を継続しました。卒業旅行から帰ってきても徹夜で研究を続け、大学生活最後の3月31日の夜中についに完成。あの時に見上げた夜空が、学生時代の一番の思い出です(笑)」
やると決めたら、納得するまでとことんやり遂げる精神は、若い頃から健在だったそうだ。入社後、SEとして仕事に専念。35歳の時、営業をするよう命じられ、管理職に就いた。人付き合いも得意ではなく、同期の中で出世が遅かったという。
「人生は、思った通りにはなりません。若い頃からエンジニアになりたいと思っていたのに、営業になった時は複雑な思いがしました。けれども管理職になってから、意外にも早くキャリアが広がってきました。第一希望の仕事でなくても、努力を続けるうちにおもしろさが必ず見つかってくるのです」
外から自分を見つめる
「経済はグローバル化し、国境もなくなっています。中国やインドは人件費が安く、将来は日本の仕事を奪う可能性もあります。単に専門知識を習得するのではなく、本当の実力が求められる時代。既存のものを真似して作っても意味がありません。何が必要とされているかを考え、創り出すことが重要になってきます」
日本は人口が減少し、労働力は低下の一途をたどっている。海外のパワーに圧倒されないように、優れた能力を身に付けなければならないと北城氏は指摘する。
「常に、海外の動向を注視するように努め、国際社会で活躍することを念頭に置くべきです。海外の動きを知り、日本の置かれた環境を知ることで、自分自身を新しい視点で見ることができます。それを学ぶための動機として、ぜひ新しい分野に挑戦してほしい。今までにないことに取り組むと、新しい自分に出会うことが出来、新たな可能性が広がります」
自分の人生は、自ら決める
「仕事が非常に忙しくて大変な時や失敗をしたこともあったけれど、落ち込んだことはなかったです。悩むから、落ち込むんですよ。地球が破滅するほどの意思決定を行うわけではないのですから(笑)。考え込むよりも、まず行動。解決策のない悩みなんてありません。朝起きて気分が良いと思ったら、その日は気分がいい、それだけなのです」
北城氏は、“明るく、楽しく、前向きに”という頭文字“あ・た・ま”をモットーとしている。心の持ち方次第で、人生も世界もすべてが変わるという。
「同じ仕事でも、明るい職場で前向きに働いた方が楽しいじゃないですか。たとえ嫌なことが起きたとしても、それが自分に与えられた運命だと受け入れて、全力を尽くせばいいんです。どんな職業にするか、どんな人生にするか、自分で決めること。自分の人生だからこそ、よく考えて自分なりの答えを出して挑戦してください」
日本アイ・ビー・エム 株式会社
最高顧問
北城 恪太郎氏
1944年生まれ。慶應義塾大学工学部管理工学科卒。1967年、システムエンジニアとして、日本アイ・ビー・エム入社。2007年、経済同友会代表幹事を退任し、日本アイ・ビー・エム最高顧問に就任した。愛読書は、福沢諭吉の自叙伝『福翁自伝』。著書に『経営者、15歳に仕事を教える』(丸善、2004年)がある。教育熱心で、全国各地の中学校や高校などで講演を行い、多忙な日々を送っている。
経営者、15歳に仕事を教える(丸善)
人生の多くの時間は仕事についやされる。楽しみ、喜びを見出せる仕事に出合えれば、実りある人生を過ごせる可能性は非常に高い。著者が中学校で子供たちに語りかけてきた、仕事というものがどういうことなのか、会社を経営するとはどういうことなのか、これからの会社や教育はどうあるべきなのか、そしてその中でどう生きていくべきなのかを紹介する。





